将来確実に訪れる老いに備えて

将来、確実にやってくるのは「老い」と「死」である。われわれ夫婦は、今月の23日で、結婚40周年を迎える。ルビー婚というらしい。花束のひとつでもプレゼントするか?と、しおらしい気持ちもあるが、多分あげないだろう。先日、私は妻に自分の死後の話をした。「このウチを売って、故郷に帰ればいい!空き家の実家に住めば家賃もいらないし、実妹も近くに住んでいるし、」妻は、微笑みながら「そうね!」と快諾した。私は、肩の重たい荷物が飛散するのを体感した。

60歳を過ぎると、自分自身の体に自信がなくなってくる。自分の限界が見えてくるのだ。大袈裟ではない。人生の終着駅が見えてくる。人生は一度きりだから・・・と先日、ある場所で、巡り会った初対面の青年男子に、自分の座右の銘を開陳した。楽しく生きるのも、苦しみながら生きるのも、自由だけれど、一度しかない人生だから、楽しく生きなければ損だとも説いた。

将来、誰にでも訪れる「老い」や「死」を、真っ正面で受け止めるためにも、毎日を一生懸命で生きなければならない。それも楽しく、可笑しくにだ。それは、誰にでも手にすることができる、平等の権利だ。少々の貧乏がどうした!現代のわが国で、餓死することは不可能なことだ。医療も望めば、そこそこの処置をしてもらえる。

だが、本人とって「一番の楽しみこと」は、自らの行動からでしか得られないのだ。他人は、自分のことでいっぱいだ。他人の幸せなど。口ほど考えていないのが現実だ。自らの楽しい人生は、自らで勝ち取るしかない。

若いときから、趣味があれば老いを迎えたころは師範。いわゆるスペシャリストです。将来のことは深く考えずに継続できることを選ぶといいと思います。生きがいがあれば、多少の苦労があっても自分を支えるものになりますよ。